1903年、ライト兄弟が世界で初めて動力飛行に成功。
1903年、ノースカロライナ州、キティホークにて、ライト兄弟が世界で初めて人間の操縦(そうじゅう)による動力付き飛行機の飛行に成功。
この日最初の飛行では、オービルが操縦(そうじゅう)し、飛行時間12秒、飛行距離36.6メートルを達成した。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ライト兄弟
ライト兄弟って、どんな人?
ライト兄弟(ライトきょうだい)は、アメリカの発明家。兄の名前はウィルバー・ライト(Wilbur Wright(1867―1912))、弟の名前はオービル・ライト(Orville Wright(1871―1948))。2人は自転車屋をしながら兄弟で研究を続け、1903年に世界初の有人動力飛行(ゆうじんどうりょくひこう)に成功した。
連邦航空局(FAA)が発行するパイロットのライセンスカードの裏面には、ライト兄弟の肖像(しょうぞう)が描かれている。
出典:https://beginner-driver.net/instructor/
ライト兄弟は何人?
ライト兄弟は7人
世界初飛行に成功したライト兄弟。実は、ライト兄弟は2人ではない。
ライト兄弟は、父ミルトン・ライトと母スーザンの息子として生まれた。一家には、他に5人の兄妹(長男ルクラン、次男ローリン、四男オーティス、長女アイダ、次女キャサリン)がいた。
ライト一家の家族構成
父 ミルトン・ライト(1828年 – 1917年)、プロテスタント教会の牧師。
母 スーザン(1888年に結核で死亡)。
長男 ルクラン・ライト(1861年 – 1920年)
次男 ローリン・ライト(1862年 – 1939年)
三男 ウィルバー・ライト (1867年4月16日 – 1912年5月30日)。腸チフスで死亡(訴訟(そしょう)疲れだったという説もあり)。
四男 オーティス・ライト(生後すぐに死亡)
長女 アイダ・ライト(生後すぐに死亡)
五男 オービル・ライト(1871年8月19日 – 1948年1月30日)。心臓発作で死亡。
次女 キャサリン・ライト(1874年 – 1929年)。飛行の際にはアシスタント的な役割をつとめる。
しかしながら、母スーザンは結核により1888年に早逝(そうせい)。
四男と長女も、生まれて間もなく死亡した。そのため、五男のオービルは、一般には四男として扱われることが多い。
ライト兄弟の年表
1867年(兄0歳) | アメリカ合衆国のインディアナ州ミルビルで、兄ウィルバーが3男として誕生する。 |
1871年(兄4歳、弟0歳) | 父親の職場の転勤に伴い引っ越したオハイオ州のデイトンで、弟オービルが5男として誕生する。 |
1889年(兄22歳、弟18歳) | アメリカの若者を中心に流行(りゅうこう)していた新聞作成を兄弟2人で行なう。兄が記事を書き、弟が印刷機を組み立てて印刷した。 |
1892年(兄25歳、弟21歳) | 自転車が流行(はや)り出すと、2人は新聞作成に見切りをつけ、自転車店を開く。後には、販売だけでなく自転車の修理も行なうようになる。 |
1895年(兄28歳、弟24歳) | オリジナルブランドの自転車製造を開始する。 |
1896年(兄29歳、弟25歳) | ドイツ人の飛行研究家オットー・リリエンタールが飛行実験の際に墜落死(ついらくし)したことを知り、飛行機の開発研究に興味を抱(いだ)く。 |
1899年(兄32歳、弟28歳) | 航空関係(こうくうかんけい)の資料(しりょう)を読み漁(あさ)り、本格的に飛行機の研究を始める。翌年にはグライダーの実験を開始する。 |
1901年(兄34歳、弟30歳) | 有人グライダーが完成。その過程(かてい)で垂直尾翼(すいちょくびよく)の必要性を発見。また、200種の翼型(よくがた)を試験し、アスペクト比が大きい方が空中に支持されることを発見。その他、それまでの飛行に関する理論をくつがえした。 |
1903年(兄36歳、弟32歳) | 12月17日、ノースカロライナ州キティホークにて、世界初の有人動力飛行(ゆうじんどうりょくひこう)に成功する。 |
1904年(兄37歳、弟33歳) | 兄ウィルバーが、初の周回飛行(しゅうかいひこう)に成功する。 |
1906年(兄39歳、弟35歳) | 2人で申請(しんせい)していた「飛行機械」が特許登録(とっきょとうろく)される。翌年、飛行機販売のため、ヨーロッパを訪問する。 |
1908年(兄41歳、弟37歳) | 兄ウィルバーは、8月にフランス、弟オービルは9月にアメリカで、米軍向けに初のデモフライトを行なう。順調(じゅんちょう)だった矢先(やさき)の9月17日に、弟オービルが操縦(そうじゅう)する2人乗りの飛行機の右プロペラが突如(とつじょ)壊れ、墜落(ついらく)する事故が起こる。このとき、同乗(どうじょう)していた軍人が死去(しきょ)し、オービルも重傷(じゅうしょう)を負う。 |
1909年(兄42歳、弟38歳) | 兄ウィルバーがイタリア、弟オービルがドイツでデモフライトを行なう。同年、ライト航空会社(こうくうがいしゃ)を設立し、ウィルバーが社長になる。 |
1910年(兄43歳、弟39歳) | スミソニアン博物館(はくぶつかん)から第一回ラングレー・メダルを受賞(じゅしょう)。展示飛行専門のライト・エグジビション社を設立(せつりつ)する。 |
1912年(兄45歳、弟41歳) | 5月30日、兄ウィルバーが腸(ちょう)チフスで死去(しきょ)。 |
1913年(弟42歳) | オービルがライト機最初の水上機(すいじょうき)モデルの実験を開始する。 |
1915年(弟44歳) | ライト社を売却(ばいきゃく)。翌年、他社と合併(がっぺい)される。 |
1928年(弟57歳) | オリジナルの1903年型ライト・フライヤーを、イギリスの科学博物館(かがくはくぶつかん)展示(てんじ)のため輸出(ゆしゅつ)する。 |
1943年(弟72歳) | オービルが認定(にんてい)したライト兄弟の伝記(でんき)『ザ・ライトブラザーズ』が出版(しゅっぱん)される。 |
1948年(弟77歳) | 1月3日、オービルが心臓発作(しんぞうほっさ)で死去(しきょ)。同年12月に、1903年型ライト・フライヤーがイギリスから帰還(きかん)。この飛行機は、今日までスミソニアン博物館(はくぶつかん)に展示(てんじ)されている。 |
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